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AMラジオ災害問題協議会 防災シンポジウム

開催日時 2020年1月13日(月・祝)

関西のAMラジオ7局がチームになって取り組む「災害とラジオ」。

阪神淡路大震災から25年。この節目にあの日の記憶をたどり、改めてラジオのあり方を見つめ直したい。1・17を間近に控えた1月13日(月・祝)、関西のAMラジオがKBSホールに集合。『AMラジオ災害問題協議会 防災シンポジウム』を13時30分から16時に亘って開催しました。
災害とラジオについて考えるAMラジオ災害問題協議会は、関西エリアにある民放ラジオ6局とNHK大阪放送局の計7局からなる組織。阪神淡路大震災後は、防災を考える特別番組『いのちのラジオ』や防災ラジオスポットなどを合同で制作してオンエアするなど、チームで防災ラジオに取り組んできました。
今回のシンポジウムは、AMラジオができたこと、できなかったことを含めて経験と教訓を共有し、一同でこれからの災害とラジオを考えるイベント。各局を代表してKBS京都の森谷威夫アナが総合的な進行を務め、基調講演とパネルディスカッションの二部構成でお届けしました。会場には、事前に申し込みいただいた約300名が来場。各局パーソナリティ&アナウンサーが災害とラジオをテーマに語り合い、災害報道の在り方や、災害時のラジオの存在意義について考えを深める時間となりました。

正木さんの基調講演で、災害に備える心の大切さを感じて。

正木さんの基調講演

まずは、気象予報士で防災士でもある正木明さんの基調講演『命を守るための伝え方』。正木さんはABCテレビ『おはよう朝日です』をはじめ、ラジオ関西の番組「正木明の地球にいいこと」で、防災や災害の話題を発信中です。
あの日も、ABCテレビの天気をテーマにしたワイド番組にメインキャスターとして出演中、突然、大きな揺れに遭遇したといいます。停電し真っ暗なスタジオから、当初は音声だけのオンエア。やがて照明やカメラが復旧し、埃が舞う中、続々と発表される震度情報、繰り返される余震…。正木さんのお話に、生々しい記憶が蘇ってきます。なかでも、震度速報の詳細や気象庁の裏舞台などは、気象予報士ならではのエピソード。さらに地震と違って気象災害はある程度の予測が可能なので、備えることができると力説します。
今の技術で計算すると、1995年1月16日時点で阪神淡路大震災規模の地震が起こる確率は約4%、それが翌日に起こったことになるそう。今、盛んに警鐘が鳴らされている南海トラフを震源とする大地震の可能性は、向こう30年で70~80%。普段から「もしも今、大地震に見舞われたら…」と考え、どう行動するかをシミュレーションしておく大切さを壇上から呼びかけ、放送で伝える側として心がけていることや正しく伝えるための工夫を訴えました。

各局パーソナリティがそれぞれの経験と想いからラジオの役割・使命を見直す。

パネルディスカッション

パネルディスカッションのパートでは、関西大学社会安全学部の近藤誠司准教授が進行を務め、パネリストとして、各ラジオ局でおなじみの面々が勢揃いしました。当時すでにラジオの最前線で活躍していたのが、ABCラジオでおなじみの道上洋三さんとラジオ関西の谷五郎さん。NHK大阪の住田功一アナは、当時は東京で早朝のテレビ「おはよう日本」担当。遅めの正月休みで神戸・六甲の実家に帰省中に地震に遭い、そのまま現地から被災状況を伝え続けました。その中で感じた、東京と被災地との災害の捉え方の温度差、限られた情報から全体像をつかむことの難しさを述べました。
谷さんは生放送直前、須磨のスタジオで地震に遭遇。なんとか放送可能状態だったため、身の回りの状況を伝えることから始めたその当時の放送音源を披露。激しい余震に見舞われながらも、次々話し手をバトンタッチし69時間ノンストップ放送。貴重な情報源となったのは、ラジオ関西を信頼してリスナーから届くファックスでした。各地区の被害情報、安否情報、救援情報など。地元目線の情報を発信し続けたのです。人と人を繋ぐ中継地点としてもラジオが機能。道上さんも「遠くの親戚より近くのラジオ」といいます。道上さんは本当は振り返りたくないと前置きしながら、情報の偏りが起こって「マスコミ災害」とまで言われ、靴の上から足を掻くような歯がゆい思いをした体験や、自らの眼で被災地の状況をつかむため炊き出しのボランティアをしながら取材を続けた数か月のことを生々しく語りました。
当時はまだ子供だった和歌山放送の覚道沙恵子アナから「近年はSNSを通じたデマ拡散も問題となっていますが、情報の精査や取捨選択はどのように?」と、質問が飛びます。時代の変化も踏まえたうえで「できることを、できるときに、できるだけ」と道上さん。ラジオからいつもの声が流れていることが、人に安心感を与えるのだと話します。住田アナも「災害はさまざまで、被災者の状況もそれぞれだから答えがない」と返しました。「災害時、何も繋がらない環境でラジオだけが届くかもしれない。ならばラジオは生きる希望になりうる」とも話します。
MBSの福本晋悟アナは、「多メディア時代にラジオは厳しい状況にあるけれど…」と切り出します。リスナーとラジオとの信頼関係の中にラジオだけの可能性を見出せるのでは話しました。森谷アナは「放送局同士のつながりや自治体といかに連携するかも大切」と別の視点も提示。
また、ラジオ大阪の藤川貴央アナは福島テレビに在籍していた経緯から、東日本大震災時のエピソードを披露。福島市内で市長の会見を取材中、飛び込んできた原発事故の一報。一刻も早く放送しようと取材VTRを抱え慌てて局に戻る途中、すでにアンテナを立てて階段の踊り場から速報中のラジオ福島を目撃し「負けた…と思った」と、ラジオの軽いフットワークを称えました。

それぞれの決意をボードに。

最後に各出演者が、「これから放送に携わる中での決意」をボードに書いて発表しました。

集合写真

写真/前列左から
進行:近藤 誠司(関西大学 社会安全学部 准教授)
パネリスト: 
住田 功一(NHK大阪放送局アナウンサー)
谷  五郎(ラジオ関西パーソナリティ)
道上 洋三(ABCラジオ・パーソナリティ)

/後列左から
森谷 威夫(KBS京都アナウンサー)
覚道 沙恵子(和歌山放送アナウンサー)
藤川 貴央(ラジオ大阪アナウンサー)
福本 晋悟(MBSアナウンサー)

福本:「あなたと本気・本音・本物の防災を」。
わたしがやりたいのは、災害報道ではありません。防災です。みなさんと共に、ラジオという言葉が一番大事なメディアを作っていきたいと思っています。これからもどうぞよろしくお願いします。

藤川:「あすを生きるあなたのために」災害が発生したときに、明日を生きるための生活情報がしっかり詰め込まれているラジオ大阪でありたいなと思っています。

森谷:「安心・信頼してもらえる関係、できる関係」。自分自身がもちろん安心、信頼してもらえるパーソナリティになりたいですが、みなさんのことを信頼できる、安心できる、そんな関係性のラジオを、番組を作っていきたいなと思いました。

覚道:「できたこと、できなかったことを受け継ぐ」。当時できたこと、できなかったことを、それが無駄にならないように。そして、「やっぱりラジオがあって良かったね」言ってもらえるようにやっていきたいと思います。そのためには、振り返る機会というのは、これからも大切だと思います。

住田:わたしは「こわい、かなしいを、共に感じながら、リスナーと共に放送したい」反省がいろいろあります。できなかったこともね、覚道さんがおっしゃるように後輩にどんどん伝えないといけないんですが。情報が集まると、それを伝えるのに必死になってしまうんですね。でもその時に「いやぁ、こわいですね」と。「こわいね、かなしいね。でもがんばろう」とちゃんと思って言えるようなスタンスを忘れてはいけないんじゃないかなと思います。「こわい」「かなしい」を共感しながら、共に放送できる。そんな風になりたいです。

:先ほども話させていただきましたけれども、「信頼を築く」。もう、アホな話もまじめな話も、これの根底に立って、毎日、放送ができたらいいなと思っております。

道上:「できることを、できる時に、できるだけ」しか僕にはできません。だから、あとはみなさんにこれからも支えていただいて。
いざという時のラジオではなくて、いつものラジオでありたい。これは、みなさんが支えてくださっているからです。

近藤准教授のナビゲートで、すでに放送の世界にいたベテラン3人と中堅&若手の4人が、それぞれの経験と想いに基づいて繰り広げたディスカッション。7つの放送局、7人のパネリストの声が交わり、言葉が重なれば、大きな力に繋がること。皆で共有することができた震災の教訓を改めて胸に刻み、ラジオの役割と可能性を再認識する時間となりました。

このシンポジウムの模様は各放送局の、災害時とラジオを考えるコーナーや特別番組などで放送しました。

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